【エッセイ】英語ばばあになりたい


私はもう「ばばあ」だから。「ばばあ」のくせに若作りして。これだから「ばばあ」は。

「ばばあ」という言葉のインパクトは、かなり強い。そして大概ネガティブな意味で使われる。
でも私は「ばばあ」という表現が好きだ。なぜなら「ばばあ」は最強だからだ。

「ばばあ」達は人との距離の取り方が変ちくりんだったり、声がちょっと大きかったり、みんなが少し恥ずかしいと思うような事も、どこ吹く風と言った様子で堂々と、そして図々しくやってのける。

ばばあには、己のルールがしっかりと、ある。
外野からの批判の声や、白い目など全く関係ないのである。

私には自分の事を「ばばあ」と呼びたくなる時が良くある。
自分の髪の毛の色にちなんで「紫ばばあ」。自分の仕事のイメージで「英語ばばあ」。

そんな風に言うと自虐だと思われたり、全然「ばばあ」じゃないよ!まだ若いよ!などと言われたりする。
「30歳のあなたが「ばばあ」だったら、40歳の私はどうなっちゃうのよ〜?」などと言われる事もある。

でも、私の中では年齢で「ばばあ」分けをしているのでは無いので、答え方が良くわからない。
「あんたも「ばばあ」だよ。」って言ったら怒られる事は何となく想像が付くので、言わないけれど。

(ちなみに私は40歳を世間一般でいう「ばばあ」=年増だと全く思っていないのだが、40歳だって若いですよ、と30歳の私が言うと、必死にフォローを入れているように聞こえてしまうのでは無いか…と思い、こちらも言わない。)

私は自分が「ばばあ」で良いし、むしろ、世の中の流れとちょっと違う所にいる妖怪みたいな「ばばあ」になりたい。

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この所、自分の「英会話講師」という肩書きがしっくり来ず、何か良いラベルは無いかと1人考えた末に辿りついたのが先述の「英語ばばあ」だ。

英語で困ってる人を見れば、おせっかいな程に助けを申し出たり、訳のわからない擬音を使って説明し出したり、根拠の無い自信に溢れてたり、と私の暑苦しい性質が「ばばあ」のそれその物ではないか。

しかし、いかんせん「英語ばばあ」では「英語学習中のばばあ」なのか「英語を喋るだけのばばあ」なのか「英語に詳しいばばあ」なのか皆目見当がつかないので、プロフィールに載せるのには向かないだろう。

世の中が「ばばあ」の無敵さに気づいてくれる日が早く来ると良いな、と思いつつ私のプロフィールには未だに中ぶらりんな「英会話講師」という文字を残したままだ。